阮元
阮 元は、中国清代の政治家・考証学者。地方官として功績を残すと同時に、学者として多くの編纂事業も手掛けた。号に文達(阮文達)、揅経老人、雷塘庵主など。
生誕~死没 1764年2月21日 ~ 1849年11月27日最終更新 2026/10/16 14:49
阮 元(げん げん、拼音: Ruǎn Yuán、乾隆29年1月20日〈西暦1764年2月21日〉 - 道光29年10月13日〈西暦1849年11月17日〉1)は、中国清代の政治家・考証学者。地方官として功績を残すと同時に、学者として多くの編纂事業も手掛けた。号に文達(阮文達)、揅経老人、雷塘庵主など。
略歴
1764年、揚州府儀徴県に生まれる。本貫は揚州府甘泉県槐泗(現在の江蘇省揚州市邗江区槐泗鎮)。
1789年、科挙に合格して進士になる。官僚としては山東・浙江の学政、浙江・江西・河南の巡撫の任についた。とくに浙江には足かけ10年ほど着任して、李長庚らとともに海賊の取りしまりを行った2。また、西湖の浚渫事業を行い、そのときに出た泥を集めて築いた湖内の島は「阮公墩」の名で現在も残る。
1817年からは、広州で両広総督をつとめる。前年にウィリアム・アマーストがを拒否する事件が起きたばかりであり、阮元はを築いてに武力で対抗することを進言した。
この記事は日本語版ウィキペディアの「阮元」をもとに作成されており、 (r99786622) CC BY-SA 4.0 ライセンスのもとで利用できます。原文の投稿者一覧は 原文の履歴で確認できます。
最終更新 2026/10/16 14:49 · r235894 · 記事の内容は CC BY-SA 4.0 のもとで利用できます。