新庄直定
新庄 直定は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。常陸麻生藩の第2代藩主。初代藩主新庄直頼の長男。通称は新三郎、官位は従五位下越前守。
生誕~死没 1562年 ~ 1618年6月13日最終更新 2026/10/16 14:49
新庄 直定(しんじょう なおさだ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。常陸麻生藩の第2代藩主。初代藩主新庄直頼の長男。通称は新三郎、官位は従五位下越前守。
生涯
永禄5年(1562年)、近江国で新庄直頼の長男として生まれた。母は佐久間盛重の娘。
天正19年(1591年)、直頼は近江大津城に移封されるが、このとき直定に分知され、知行1万2,000石を与えられたという2。同年11月、三河吉良狩猟のときに父と共に秀吉に随従した2。
文禄元年(1592年)、文禄の役には兵300を率いて朝鮮へ渡海した3。帰朝後、伏見城普請を分担1。『当代記』によれば、この頃も1万2,000石1。
3年(1598年)、秀吉の死に際して遺物景長の刀を受領。この頃、父に連れられて伏見で初めてに目通りした。
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