張翼
張 翼は、中国後漢末期から三国時代の武将。益州犍為郡武陽県の人。字は伯恭。前漢の張良の子孫。高祖父は司空の張晧。曾祖父は広陵太守の張綱。祖父と父の名は不詳。子は張微。孫は張存。『三国志』蜀志に伝がある。
生誕~死没 年不詳 ~ 264年3月3日最終更新 2026/10/16 14:52
張 翼(ちょう よく)は、中国後漢末期から三国時代の武将。益州犍為郡武陽県の人。字は伯恭。前漢の張良の子孫。高祖父は司空の張晧。曾祖父は広陵太守の張綱。祖父と父の名は不詳。子は張微。孫は張存。『三国志』蜀志に伝がある。
生涯
劉備が益州を平定し(入蜀)、益州牧を兼任したときに書佐として取り立てられた。その後、孝廉に推挙され、江陽県長・涪陵県令・梓潼太守・広漢太守・蜀郡太守と地方官を歴任した。
この間、沔陽県長であった頃、劉備の漢中攻め(定軍山の戦い)に参加し、趙雲の指揮下で曹操軍を大いに撃退したという(『三国志』蜀志「趙雲伝」の注に引く『趙雲別伝』)。
建興9年(231年)、庲降都督・綏南中郎将として南中方面を鎮守した。
しかし、法に厳格であったために異民族の反発を買い、233年、異民族の劉冑が反乱すると(『三国志』蜀志「後主伝」)、職務に耐えないと見做されて中央に召喚された。張翼は後任の馬忠が赴任するまで前線に留まり、兵糧の準備など軍備を充実させた。このため馬忠はそれに頼り、異民族の反乱を平定できた。諸葛亮はこの話を聞き、張翼に信頼を寄せた。
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