陸凱
陸 凱は、中国三国時代の呉の武将・政治家。字は敬風。子は陸禕。弟は陸胤。甥は陸式。陸遜の一族にあたる。『三国志』呉志に伝がある。 本貫は揚州呉郡呉県(現在の江蘇省蘇州市呉中区)。陸遜の一族で、子の世代に当たるという。しかし、父より上の系譜がなく、正確な系図上の繋がりは不明。
生誕~死没 198年 ~ 269年最終更新 2026/10/16 14:51
陸 凱(りく がい)は、中国三国時代の呉の武将・政治家。字は敬風。子は陸禕。弟は陸胤。甥は陸式。陸遜の一族にあたる。『三国志』呉志に伝がある。
本貫は揚州呉郡呉県(現在の江蘇省蘇州市呉中区)。陸遜の一族で、子の世代に当たるという。しかし、父より上の系譜がなく、正確な系図上の繋がりは不明。
生涯
孫権の時代である黄武年間に地方の県令や太守職を歴任し、建武都尉となったときに軍権を任された。軍にあっても学問をよくし、『太玄経』を読むなど占いにも精通していた。赤烏年間に儋耳太守となり、将軍の聶友を伴って儋耳に遠征し、反乱する賊を斬って建武校尉に昇進した。赤烏13年(250年)、魏の王昶が南郡に侵攻すると、孫権の命令で江陵の朱績の救援に赴いた1。
五鳳2年(255年)、零陵の山越の反乱民である陳毖を斬り、巴丘督・偏将軍・都郷侯となる。のちに武昌右部督に転任する。での戦いに参加し、帰還後には盪魏将軍や綏遠将軍に任命された。
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