孟郊
孟 郊は、中国唐の詩人。字は東野。諡は貞曜先生という。湖州武康県の出身。本貫は平原郡平昌県。
生誕~死没 751年 ~ 814年最終更新 2026/10/16 14:46
孟 郊(もう こう、751年 - 814年)は、中国唐の詩人。字は東野。諡は貞曜先生という。湖州武康県の出身。本貫は平原郡平昌県。
略歴
狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は嵩山に隠れた。貞元7年(791年)、41歳の秋に、湖州の郷貢進士に挙げられ長安に出る1。貞元14年(798年)、50歳の時に三度目で進士に及第し、溧陽県尉となった。生涯不遇で、元和9年(814年)に閿郷で没する。
詩風
詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。
題名の通り、作者が科挙に合格した際の喜びを読んだ七言絶句である。
出典
脚注
Footnotes
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