劉基
劉 基は、中国元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師。字は伯温。諡は文成。浙江省処州路青田県南田の出身。出身地の青田県とよばれたことから劉青田とも称される。
生誕~死没 1311年7月1日 ~ 1375年5月16日最終更新 2026/10/16 14:55
劉 基(りゅう き、至大4年6月15日(1311年7月1日) - 洪武8年4月16日(1375年5月16日))は、中国元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師。字は伯温。諡は文成。浙江省処州路青田県南田の出身。出身地の青田県とよばれたことから劉青田とも称される。
人物
朱元璋に仕えて明を建国するに際し大きな功績を上げ、その後の明を安定させることに尽力した。また、宋濂と並んで当代随一の文筆家としても知られ、その著書として『郁離子』十巻、『覆瓿集』二十四巻、『写情集』四巻、『犁眉公集』五巻を後世に残す(ただし、この内『犁眉公集』五巻は、劉基没後、彼の長男の劉璉が父の残した草稿を集成し、名づけたものである)。中国では魔術師的な軍師として崇拝を受けており、三国時代の諸葛亮と並び称され、明初を舞台とする小説、戯曲等に登場することが多い。小説や戯曲ではもっぱら字で呼ばれるので、歴史上の人物であるにもかかわらず字を取った劉伯温の方が親しまれている。次男は劉璟。
略歴
元末の科挙に合格して進士となり、行省元帥府都事を務めたが、上司である処州守将の石抹宜孫(回鶻系契丹敵烈部出身、石抹也先の後裔)と衝突して辞任して故郷に隠棲した。南京を陥落させて呉国公となった朱元璋は当地の知識人たちを自らの幕下に招聘した1。劉基は朱元璋の招聘に応じた知識人の一人であり、以後劉基は朱元璋の軍師として活躍する。
軍師としての劉基はの名目的な首領であるに対して、「牧童に過ぎない。こんな者を奉じてどうなる!」と大喝したり、朱元璋がのを措いて、のを討とうとした時に諌めて、先に陳友諒を討つべきと進言したりしている。
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