チェコ — OpenHistory
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Česká republika
Česko
英語 での公式名称は Czech Republic 4 であった。チェコ外務省が1993年に提唱した通称にラテン語 風の Czechia 5 があり、チェコ政府は2016年4月14日に公式にこの略称を英語圏 および国連 に向けて使用することを発表したが6 7 8 、現在一般的に使われているとは言いがたく、Czech Republic をそのまま用いることが多い。
ドイツ語では Tschechische Republik 9 。通称は Tschechien 10 、Tschechei 11 である。
外務省 統一表記はチェコ共和国 である。通称チェコ 。かつての外務省書類などではチェッコ という表記が使用された12 。
かつてひとつの国家であった「チェコスロバキア」の英語での綴りは Czechoslovakia である。これは1918年の建国時にチェコ民族とスロバキア 民族によるひとつの国家として建国されたものであるが、日本では「チェコスロバキア」の短縮形として単に「チェコ」を使う場面もみられた。
チェコ共和国の国境が現在のようになったのは1993年になってのことである。プラハを中心とした Čechy13 、ブルノを中心とした Morava14 、さらにポーランド国境近くの Slezsko15 の3つの地方がチェコ共和国を形成している。
ボヘミア地方を示す Čechy(チェヒ)をチェコスロバキア 建国の命名に採用しているが、もちろん国家にはモラヴィアもシレジアも入る。歴史的に、チェコ語における Čechy、および英語の Czech では、「ボヘミア地方 」のみを指す文献もある。そのため、特にチェコ共和国という国家としての表現を必要とする場合、「チェコ共和国」、Česká republika、Czech republic を用いる。
現在、チェコ共和国内のメディアなどで見かける Česko は、チェコスロバキア時代の通称 Československo から、形式上チェコにあたる部分を切り離した呼び名であり、チェコ共和国を指す。
歴史
古代〜中世まで 13世紀末には神聖ローマ帝国 選帝侯 の地位を獲得した。14世紀にプシェミスル家が断絶すると、ドイツ人のルクセンブルク家 による支配が布かれた。ルクセンブルク王朝ではカレル1世 (カール4世)が神聖ローマ皇帝 に即位し、ボヘミア王国 は全盛期を迎えた。首都プラハ は中央ヨーロッパの学芸の主要都市の一つとなり、1348年にはプラハ大学 が設立された。この時期のチェコは、民族的にはドイツ人の支配を受ける植民地でありながら、地域としてはドイツを支配するという王都でもあるという状況にあった。
その後、ハンガリー王国 、ポーランド王国 の支配を受け、16世紀前半にはハプスブルク家 の支配を受けることになった。チェコ人は政治、宗教面で抑圧されたため、1618年のボヘミアの反乱をきっかけに三十年戦争 が勃発した。この戦争によってボヘミアのプロテスタント 貴族は解体され、農民は農奴 となり、完全な属領に転落した。なお、チェコ史においてハプスブルク家の支配は長年「暗黒時代 」とされてきたが、これには旧体制を否定しようとする新生の共和国、続く共産主義政権のプロパガンダ が多分に含まれており、「暗黒時代」史観はもはや過去のものとなっている。
チェコスロバキア共和国建国 第一次世界大戦 後、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、1918年に民族自決 の理念のもとチェコスロバキア共和国 の独立が宣言され、初代大統領にはトマーシュ・マサリク が就任した。このときにボヘミア、モラヴィア、ハンガリーの一部であったスロバキアが領土となった。マサリク政権では西欧的民主主義が布かれたが、チェコスロバキアにおいてはチェコ人が社会のほぼすべてを支配し、スロバキア人と対立した。そのため、スロバキア人は親ドイツの立場をとった。チェコスロバキアとして行った外交においては国内の状況がチェコ人支配だったため反共・反ドイツの立場を取った。1935年からナチス・ドイツ の圧迫が強まると、1938年にミュンヘン会談 でズデーテン 地方をドイツに割譲し、1939年にはボヘミアとモラヴィアは保護領としてドイツに編入され、反チェコ・親ドイツ派の多かったスロバキアはドイツの保護国 となり、チェコスロバキアは地図から姿を消した(ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体 )。
共産主義政権とその崩壊 第二次世界大戦 後にチェコスロバキア共和国は復活した。1946年、1940年から1945年までエドヴァルド・ベネシュ によって布告されていた一連の法案(いわゆる「ベネシュ布告 」)が臨時連邦政府委員会によって可決承認され、これによりズデーテン に多く住んでいたドイツ人やスロバキアに多く住んでいたハンガリー人 のほとんどの人が財産を奪われたうえ、チェコスロバキアから追放された17 。
1989年からのビロード革命 によって共産党体制は崩壊し、翌1990年には複数政党制 による自由選挙 が行われた。1992年6月の選挙では民主スロバキア同盟が勝利したため、それまで互いに反発していたチョコとスロバキアの分離は決定的となった。1993年1月にチェコスロバキアはチェコ と**スロバキア **に平和的に分離(ビロード離婚 )した。
ビロード離婚後から現在 1995年11月28日にOECD に加盟し、1999年3月12日にはNATO にも加盟した。
政治
議会 議会は元老院 と代議院 によって構成される。代議院は議席数200、任期は4年で、比例代表制 による直接選挙 で選出される。元老院は議席数81、任期は6年で、2年ごとに定数の3分の1ずつを改選する。チェコ共和国発足当初、元老院は選挙方法などが決まらず、代議院がその機能を代行してきたが、1996年11月に初の小選挙区制 による元老院選挙が行われて両院制 が整った。
政党 2020年3月28日時点で、92の政党と141の政治運動団体の登録が確認されている。
司法
法律
国際関係 外交政策の策定は主に首相と外務大臣の役割であるが、大統領も影響力を有しており、国家を代表して外遊することもある。EUとNATOが、チェコの外交政策の基軸である。諜報機関として外交関係情報局 (UZSI) があり、スパイや外交政策のブリーフィング、チェコの在外公館の保護などに責任を負う。
日本との関係
軍事 チェコ軍 はチェコ陸軍、チェコ空軍と特殊支援部隊から構成される。国軍は国防相の統制下にあり、大統領が国軍の最高指揮官を務める。かつては徴兵制 が敷かれていたが、2004年に志願制に移行した。1999年3月12日に北大西洋条約機構 (NATO) に加盟している。国内総生産 (GDP) に占める国防費の割合は、約1.28パーセント(2021年)である28 。
地理
環境 2020年時点で、チェコは環境パフォーマンス指数 において「世界で21番目に環境に配慮した国家」としてランク付けされている30 。また、2018年の森林景観保全指数 の平均値は1.71/10で、172ヶ国中160位にランクされている31 。
地方行政区分 チェコの地方行政区画は2000年に再編され、プラハ首都特別区および13のクライ(kraj)と呼ばれる行政区に区分されている。
主要都市
経済 オーストリア=ハンガリー帝国時代に早くから産業革命 が進み、1930年代には世界第7位の工業国であった。かつての共産党 政権下での中央集権 的な計画経済 から、市場経済 への移行を遂げている。もともとチェコスロバキア は旧東欧諸国の中でも工業化が進んでいたが、共産党政権の崩壊とともに民営化 が推し進められた。1980年代から西側 企業の進出が相次いでおり、ビロード革命 などの混乱はあったが、1994年には成長率がプラスに転じ、旧東欧諸国の中ではスロベニア やハンガリー などと並んで高い水準を維持している。1995年にOECD 、2004年にはEU 加盟国となった。2009年の世界経済危機以降は成長率が鈍化している。
2004年にチェコがEUに加盟してから2007年末までの経済成長 により、チェコの平均給与 は40%以上も上昇した。このような状況で、チェコの労働者 は高い給料を求めて次々と転職 を繰り返し、ひとつの企業で長く働くことはなくなり、企業の教育もおぼつかない状態になった。安くて良質な労働力を期待してチェコに殺到した外資系メーカー は深刻な人手不足と納期不達に悩み、急上昇する人件費は企業の利益 を急激に圧迫する要因となっている。打開策として、国内のメーカーは製造ラインのロボット化を進める一方、ベトナム やモンゴル から安くて優秀な労働者を大量に雇いチェコへ労働移民として送り込む方向である32 。チェコの工場を閉鎖して別の国に工場を新設することを検討している企業も多い。
伝統産業
農業
エネルギー チェコにおける電力の生産は原子力発電 を始めとした旧来からの発電法によるものが主体となっている。生産される電気は消費量を年間約10TWh超えており、その超過分は国外へ輸出されている。
原子力発電は現在、総電力需要の約30%を供給しており、そのシェアは40%に増加すると予測されている。2005年には電力の65.4%が蒸気および燃焼発電所(主に石炭 を利用したもの)によって生産されていて、30%は原子力発電によるもので、4.6%は水力発電 を含む再生可能エネルギー源からのものであった。
現時点での最大の電力資源はテメリン原子力発電所 である。なお、ドゥコヴァニにも原子力発電所が存在している。
観光 プラハ はロンドン 、パリ 、イスタンブール 、ローマ に次いで、欧州で5番目に来訪者数の多い都市である33 。観光関連の収入は2001年には1180億チェコ・コルナ に上り、これはチェコの国民総生産 (GNP) の5.5パーセント、輸出総額の9パーセントにあたる。観光関連の仕事に従事している人は11万人以上で、人口の1パーセント以上におよぶ34 。観光ガイドブックではスリやタクシーのぼったくりに注意が促されているが、2005年以降、当時のプラハ市長パヴェル・ベームのもと軽犯罪の取り締まりが強化された結果、近年は改善してきている35 36 。アメリカ合衆国国務省 は、チェコの犯罪発生率は「低い」と評価している37 。
チェコは、人形祭りやビール祭りで上演される人形劇でも知られる39 。チェシュトリツェにあるアクアパレス・プラハは、国内最大のウォーターパーク である。
交通 2020年時点で、チェコには総延長55,768.3キロメートルの道路網があり、このうち1,276.4キロメートルが高速道路である40 。制限速度は市街地で時速50キロメートル、それ以外では時速90キロメートル、高速道路では時速130キロメートルに設定されている41 。
鉄道では、世界有数の充実した路線網を有する。その総延長は2020年時点で9,542キロメートルで、このうち3,236キロメートルが電化されている42 。7,503キロメートルは単線、2,040メートルは複線ないし複々線である43 。チェコ鉄道 が主要な鉄道事業者であり、年間1億8000万人を輸送している。鉄道の最高速度は時速160キロメートルに制限されている。
航空では、プラハのヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港 が国内の中心的な空港となっており、2019年には1780万人が利用した44 。国内には91の空港があり、このうち6空港(ブルノ、カルロヴィ・ヴァリ、ムニホヴォ・フラディシュテ、モシュノフ、パルドゥビツェ、プラハ)に国際線が設定されている45 。
国民
民族 政府によって少数民族のための会議 (Rada vlády pro národnostní menšiny)が設けられており、認定された少数民族は法律などに影響を受ける場合、意見を述べることが認められ、また母語教育や政府の支援などの権利がある48 。
公認された少数民族はベラルーシ人、ブルガリア人、クロアチア人、ハンガリー人、ドイツ人、ポーランド人、ロマ、ルシン人、ロシア人、ギリシャ人、スロバキア人、セルビア人、ウクライナ人、ベトナム人49 。
言語
婚姻
宗教 キリスト教 圏ではあるが、1913年以来チェコのカトリック教会は火葬 を容認しており、また、上述の通り無宗教 者が多いこともあって、ヨーロッパ 諸国のなかではイギリス と並んで火葬率が高い。
教育
保健
医療
治安 チェコの治安情勢は総じて安定的であり、犯罪 件数は概ね漸減傾向にある。ただし、日本と比べた場合の犯罪発生率は依然高く、2017年の人口当たりの犯罪発生率は日本と比較すると約2.6倍の20万0,303件となっている。
犯罪の被害発生率が高いのはスリ と置き引き であり、スリでの最も多い被害例は観光地域の路上や観光施設、土産物店、地下鉄、トラム(路面電車 )、バス などにおいて鞄 のチャックを気付かない内に開けられたり刃物 で鞄の側面を切られたりして貴重品を奪われるといったものが挙げられており、置き引きでの最も多い被害例は飲食店 で椅子 の背もたれに掛けていた鞄や座席の上や足下に置いていた荷物を持ち去られるといったものが挙げられている。
また、近年のチェコ国内では年間数件程度の誘拐 事件が発生しているが、組織的に誘拐事件を繰り返す犯罪グループの存在は確認されていない。誘拐事件の主な背景としては、身代金 目的や債権 回収のための脅迫 目的、離婚した夫婦間における子供の奪い合い、猥褻 目的などが挙げられる60 。
法執行機関
警察 かつてのチェコスロバキア時代には国家安全保障隊 と呼ばれる軍事的に組織された保安機関が存在していたが、1990年2月1日付でチェコスロバキアにおける秘密警察の主体であった国家安全保障局 が解体されたことにより、1991年から独自の治安維持・保安組織の創設が求められ現在の共和国警察へと編成されるに至った。
人権
マスコミ
インターネット 2013年の調査では、チェコ人の68%がインターネット に接続していた事が報告されている61 。
文化
食文化
ビール - チェコはビールの国民1人あたりの年間消費量が世界一である。2005年統計では1人あたり161.5リットルで、日本の3.3倍の消費量にのぼる。ピルゼン 地方を発祥の地とするピルスナー タイプ(ラガービール の一種)は、チェコをはじめとした欧州諸国のみならず、日本のような非ビール文化圏も含めた世界中に広がりを見せている。
文学 今日のチェコで発表される文学作品は、もっぱらチェコ語の作品で占められるが、かつてはラテン語 やドイツ語 、あるいは古教会スラブ語 でも書かれていた。13世紀後半、プラハの王宮はドイツ語によるミンネザング や王朝文学の中心地のひとつであった。フランツ・カフカ はチェコ語も流ちょうであったが、作品は母の母語であるドイツ語で著わした64 65 。カフカの代表作には「審判 」や「城 」などがある。
チェコ文学の発展は、聖書の翻訳がひとつの契機となった。チェコ語による最古の詩篇 の訳本は13世紀末のもので、その後、1360年ごろに聖書の翻訳がはじめて完了した。チェコ語訳聖書 がはじめて出版されたのは、1488年のことであった。12世紀のギガス写本 は、現存する世界最大の中世写本である66 。
音楽 今日のチェコにおける音楽の伝統は、10世紀末から11世紀はじめには存在が確認されている教会の聖歌に淵源する。特に「主よ、われらに慈悲を」と「聖ヴェンツェスラウスのコラーレ」の2曲は讃歌の役割を果たし、その後のチェコ音楽にとり入れられた68 。「主よ、われらに慈悲を」の作者については、プラハ司教であったプラハのアダルベルト とする説がある69 。
チェコを代表するクラシック音楽祭であるプラハの春音楽祭 では、世界各国のアーティストや交響楽団、室内楽団がそれぞれの演奏を披露する。
美術
映画
演劇 チェコの劇場は、中世以来のヨーロッパ内における劇場の歴史の中で重要な役割を担って来た面を持ち合わせている。
建築
衣装
世界遺産
祝祭日
スポーツ チェコは人口わずか1000万人の国でありながらシュコダ・オート 、プラガ 、タトラ 、CZ といった著名な自動車・オートバイメーカーが多数あり、特にオフロード系の競技で輝かしい実績を残している。
シュコダはWRC (世界ラリー選手権 )の下位クラスに古くから参戦しており、2010年代以降は低コスト四輪駆動 ターボ 車であるラリー2(旧称R5) 規定のクラスで無類の強さを誇っている。またシュコダの躍進に合わせてチェコ人ドライバーも活躍し、2018年にヤン・コペッキー/パベル・ドレスラー組がWRC2チャンピオンとなっている。
ダカール・ラリー のトラック部門では90年代半ばから2000年代初頭にかけてタトラが一時代を築き、チェコ人ドライバーのカレル・ロプライス が通算6度優勝し「ムッシュ・ダカール」の異名を得た。2023年現在、甥のアレス・ロプライスはプラガのトラックでダカールに参戦中である。またヨセフ・マハチェクはATV とUTV という異なる2部門でダカールを制した。UTVを制したのは63歳の時で、史上最年長部門勝利記録となった。
なおプラガはトラック以外にもレーシングカート やレーシングカーの製造でも知られ、カートは年間7千台の規模を誇る70 。
CZのバイクは1960〜70年代のモトクロス世界選手権 で7つのタイトルを、国際6日間エンデューロ(ISDE)で15回の優勝を獲得した。
著名な出身者
参考文献
脚注
国際関係
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国名 正式名称(チェコ語 )は Česká republika 2 (チェスカー・レプブリカ)。通称は Česko 3 (チェスコ)。
英語 での公式名称は Czech Republic 4 であった。チェコ外務省が1993年に提唱した通称にラテン語 風の Czechia 5 があり、チェコ政府は2016年4月14日に公式にこの略称を英語圏 および国連 に向けて使用することを発表したが6 7 8 、現在一般的に使われているとは言いがたく、Czech Republic をそのまま用いることが多い。
ドイツ語では Tschechische Republik 9 。通称は Tschechien 10 、Tschechei 11 である。
外務省 統一表記はチェコ共和国 である。通称チェコ 。かつての外務省書類などではチェッコ という表記が使用された12 。
かつてひとつの国家であった「チェコスロバキア」の英語での綴りは Czechoslovakia である。これは1918年の建国時にチェコ民族とスロバキア 民族によるひとつの国家として建国されたものであるが、日本では「チェコスロバキア」の短縮形として単に「チェコ」を使う場面もみられた。
チェコ共和国の国境が現在のようになったのは1993年になってのことである。プラハを中心とした Čechy13 、ブルノを中心とした Morava14 、さらにポーランド国境近くの Slezsko15 の3つの地方がチェコ共和国を形成している。
ボヘミア地方を示す Čechy(チェヒ)をチェコスロバキア 建国の命名に採用しているが、もちろん国家にはモラヴィアもシレジアも入る。歴史的に、チェコ語における Čechy、および英語の Czech では、「ボヘミア地方 」のみを指す文献もある。そのため、特にチェコ共和国という国家としての表現を必要とする場合、「チェコ共和国」、Česká republika、Czech republic を用いる。
現在、チェコ共和国内のメディアなどで見かける Česko は、チェコスロバキア時代の通称 Československo から、形式上チェコにあたる部分を切り離した呼び名であり、チェコ共和国を指す。
歴史
古代〜中世まで 13世紀末には神聖ローマ帝国 選帝侯 の地位を獲得した。14世紀にプシェミスル家が断絶すると、ドイツ人のルクセンブルク家 による支配が布かれた。ルクセンブルク王朝ではカレル1世 (カール4世)が神聖ローマ皇帝 に即位し、ボヘミア王国 は全盛期を迎えた。首都プラハ は中央ヨーロッパの学芸の主要都市の一つとなり、1348年にはプラハ大学 が設立された。この時期のチェコは、民族的にはドイツ人の支配を受ける植民地でありながら、地域としてはドイツを支配するという王都でもあるという状況にあった。
その後、ハンガリー王国 、ポーランド王国 の支配を受け、16世紀前半にはハプスブルク家 の支配を受けることになった。チェコ人は政治、宗教面で抑圧されたため、1618年のボヘミアの反乱をきっかけに三十年戦争 が勃発した。この戦争によってボヘミアのプロテスタント 貴族は解体され、農民は農奴 となり、完全な属領に転落した。なお、チェコ史においてハプスブルク家の支配は長年「暗黒時代 」とされてきたが、これには旧体制を否定しようとする新生の共和国、続く共産主義政権のプロパガンダ が多分に含まれており、「暗黒時代」史観はもはや過去のものとなっている。
チェコスロバキア共和国建国 第一次世界大戦 後、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、1918年に民族自決 の理念のもとチェコスロバキア共和国 の独立が宣言され、初代大統領にはトマーシュ・マサリク が就任した。このときにボヘミア、モラヴィア、ハンガリーの一部であったスロバキアが領土となった。マサリク政権では西欧的民主主義が布かれたが、チェコスロバキアにおいてはチェコ人が社会のほぼすべてを支配し、スロバキア人と対立した。そのため、スロバキア人は親ドイツの立場をとった。チェコスロバキアとして行った外交においては国内の状況がチェコ人支配だったため反共・反ドイツの立場を取った。1935年からナチス・ドイツ の圧迫が強まると、1938年にミュンヘン会談 でズデーテン 地方をドイツに割譲し、1939年にはボヘミアとモラヴィアは保護領としてドイツに編入され、反チェコ・親ドイツ派の多かったスロバキアはドイツの保護国 となり、チェコスロバキアは地図から姿を消した(ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体 )。
共産主義政権とその崩壊 第二次世界大戦 後にチェコスロバキア共和国は復活した。1946年、1940年から1945年までエドヴァルド・ベネシュ によって布告されていた一連の法案(いわゆる「ベネシュ布告 」)が臨時連邦政府委員会によって可決承認され、これによりズデーテン に多く住んでいたドイツ人やスロバキアに多く住んでいたハンガリー人 のほとんどの人が財産を奪われたうえ、チェコスロバキアから追放された17 。
1989年からのビロード革命 によって共産党体制は崩壊し、翌1990年には複数政党制 による自由選挙 が行われた。1992年6月の選挙では民主スロバキア同盟が勝利したため、それまで互いに反発していたチョコとスロバキアの分離は決定的となった。1993年1月にチェコスロバキアはチェコ と**スロバキア **に平和的に分離(ビロード離婚 )した。
ビロード離婚後から現在 1995年11月28日にOECD に加盟し、1999年3月12日にはNATO にも加盟した。
政治
議会 議会は元老院 と代議院 によって構成される。代議院は議席数200、任期は4年で、比例代表制 による直接選挙 で選出される。元老院は議席数81、任期は6年で、2年ごとに定数の3分の1ずつを改選する。チェコ共和国発足当初、元老院は選挙方法などが決まらず、代議院がその機能を代行してきたが、1996年11月に初の小選挙区制 による元老院選挙が行われて両院制 が整った。
政党 2020年3月28日時点で、92の政党と141の政治運動団体の登録が確認されている。
司法
法律
国際関係 外交政策の策定は主に首相と外務大臣の役割であるが、大統領も影響力を有しており、国家を代表して外遊することもある。EUとNATOが、チェコの外交政策の基軸である。諜報機関として外交関係情報局 (UZSI) があり、スパイや外交政策のブリーフィング、チェコの在外公館の保護などに責任を負う。
日本との関係
軍事 チェコ軍 はチェコ陸軍、チェコ空軍と特殊支援部隊から構成される。国軍は国防相の統制下にあり、大統領が国軍の最高指揮官を務める。かつては徴兵制 が敷かれていたが、2004年に志願制に移行した。1999年3月12日に北大西洋条約機構 (NATO) に加盟している。国内総生産 (GDP) に占める国防費の割合は、約1.28パーセント(2021年)である28 。
地理
環境 2020年時点で、チェコは環境パフォーマンス指数 において「世界で21番目に環境に配慮した国家」としてランク付けされている30 。また、2018年の森林景観保全指数 の平均値は1.71/10で、172ヶ国中160位にランクされている31 。
地方行政区分 チェコの地方行政区画は2000年に再編され、プラハ首都特別区および13のクライ(kraj)と呼ばれる行政区に区分されている。
主要都市
経済 オーストリア=ハンガリー帝国時代に早くから産業革命 が進み、1930年代には世界第7位の工業国であった。かつての共産党 政権下での中央集権 的な計画経済 から、市場経済 への移行を遂げている。もともとチェコスロバキア は旧東欧諸国の中でも工業化が進んでいたが、共産党政権の崩壊とともに民営化 が推し進められた。1980年代から西側 企業の進出が相次いでおり、ビロード革命 などの混乱はあったが、1994年には成長率がプラスに転じ、旧東欧諸国の中ではスロベニア やハンガリー などと並んで高い水準を維持している。1995年にOECD 、2004年にはEU 加盟国となった。2009年の世界経済危機以降は成長率が鈍化している。
2004年にチェコがEUに加盟してから2007年末までの経済成長 により、チェコの平均給与 は40%以上も上昇した。このような状況で、チェコの労働者 は高い給料を求めて次々と転職 を繰り返し、ひとつの企業で長く働くことはなくなり、企業の教育もおぼつかない状態になった。安くて良質な労働力を期待してチェコに殺到した外資系メーカー は深刻な人手不足と納期不達に悩み、急上昇する人件費は企業の利益 を急激に圧迫する要因となっている。打開策として、国内のメーカーは製造ラインのロボット化を進める一方、ベトナム やモンゴル から安くて優秀な労働者を大量に雇いチェコへ労働移民として送り込む方向である32 。チェコの工場を閉鎖して別の国に工場を新設することを検討している企業も多い。
伝統産業
農業
エネルギー チェコにおける電力の生産は原子力発電 を始めとした旧来からの発電法によるものが主体となっている。生産される電気は消費量を年間約10TWh超えており、その超過分は国外へ輸出されている。
原子力発電は現在、総電力需要の約30%を供給しており、そのシェアは40%に増加すると予測されている。2005年には電力の65.4%が蒸気および燃焼発電所(主に石炭 を利用したもの)によって生産されていて、30%は原子力発電によるもので、4.6%は水力発電 を含む再生可能エネルギー源からのものであった。
現時点での最大の電力資源はテメリン原子力発電所 である。なお、ドゥコヴァニにも原子力発電所が存在している。
観光 プラハ はロンドン 、パリ 、イスタンブール 、ローマ に次いで、欧州で5番目に来訪者数の多い都市である33 。観光関連の収入は2001年には1180億チェコ・コルナ に上り、これはチェコの国民総生産 (GNP) の5.5パーセント、輸出総額の9パーセントにあたる。観光関連の仕事に従事している人は11万人以上で、人口の1パーセント以上におよぶ34 。観光ガイドブックではスリやタクシーのぼったくりに注意が促されているが、2005年以降、当時のプラハ市長パヴェル・ベームのもと軽犯罪の取り締まりが強化された結果、近年は改善してきている35 36 。アメリカ合衆国国務省 は、チェコの犯罪発生率は「低い」と評価している37 。
チェコは、人形祭りやビール祭りで上演される人形劇でも知られる39 。チェシュトリツェにあるアクアパレス・プラハは、国内最大のウォーターパーク である。
交通 2020年時点で、チェコには総延長55,768.3キロメートルの道路網があり、このうち1,276.4キロメートルが高速道路である40 。制限速度は市街地で時速50キロメートル、それ以外では時速90キロメートル、高速道路では時速130キロメートルに設定されている41 。
鉄道では、世界有数の充実した路線網を有する。その総延長は2020年時点で9,542キロメートルで、このうち3,236キロメートルが電化されている42 。7,503キロメートルは単線、2,040メートルは複線ないし複々線である43 。チェコ鉄道 が主要な鉄道事業者であり、年間1億8000万人を輸送している。鉄道の最高速度は時速160キロメートルに制限されている。
航空では、プラハのヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港 が国内の中心的な空港となっており、2019年には1780万人が利用した44 。国内には91の空港があり、このうち6空港(ブルノ、カルロヴィ・ヴァリ、ムニホヴォ・フラディシュテ、モシュノフ、パルドゥビツェ、プラハ)に国際線が設定されている45 。
国民
民族 政府によって少数民族のための会議 (Rada vlády pro národnostní menšiny)が設けられており、認定された少数民族は法律などに影響を受ける場合、意見を述べることが認められ、また母語教育や政府の支援などの権利がある48 。
公認された少数民族はベラルーシ人、ブルガリア人、クロアチア人、ハンガリー人、ドイツ人、ポーランド人、ロマ、ルシン人、ロシア人、ギリシャ人、スロバキア人、セルビア人、ウクライナ人、ベトナム人49 。
言語
婚姻
宗教 キリスト教 圏ではあるが、1913年以来チェコのカトリック教会は火葬 を容認しており、また、上述の通り無宗教 者が多いこともあって、ヨーロッパ 諸国のなかではイギリス と並んで火葬率が高い。
教育
保健
医療
治安 チェコの治安情勢は総じて安定的であり、犯罪 件数は概ね漸減傾向にある。ただし、日本と比べた場合の犯罪発生率は依然高く、2017年の人口当たりの犯罪発生率は日本と比較すると約2.6倍の20万0,303件となっている。
犯罪の被害発生率が高いのはスリ と置き引き であり、スリでの最も多い被害例は観光地域の路上や観光施設、土産物店、地下鉄、トラム(路面電車 )、バス などにおいて鞄 のチャックを気付かない内に開けられたり刃物 で鞄の側面を切られたりして貴重品を奪われるといったものが挙げられており、置き引きでの最も多い被害例は飲食店 で椅子 の背もたれに掛けていた鞄や座席の上や足下に置いていた荷物を持ち去られるといったものが挙げられている。
また、近年のチェコ国内では年間数件程度の誘拐 事件が発生しているが、組織的に誘拐事件を繰り返す犯罪グループの存在は確認されていない。誘拐事件の主な背景としては、身代金 目的や債権 回収のための脅迫 目的、離婚した夫婦間における子供の奪い合い、猥褻 目的などが挙げられる60 。
法執行機関
警察 かつてのチェコスロバキア時代には国家安全保障隊 と呼ばれる軍事的に組織された保安機関が存在していたが、1990年2月1日付でチェコスロバキアにおける秘密警察の主体であった国家安全保障局 が解体されたことにより、1991年から独自の治安維持・保安組織の創設が求められ現在の共和国警察へと編成されるに至った。
人権
マスコミ
インターネット 2013年の調査では、チェコ人の68%がインターネット に接続していた事が報告されている61 。
文化
食文化
ビール - チェコはビールの国民1人あたりの年間消費量が世界一である。2005年統計では1人あたり161.5リットルで、日本の3.3倍の消費量にのぼる。ピルゼン 地方を発祥の地とするピルスナー タイプ(ラガービール の一種)は、チェコをはじめとした欧州諸国のみならず、日本のような非ビール文化圏も含めた世界中に広がりを見せている。
文学 今日のチェコで発表される文学作品は、もっぱらチェコ語の作品で占められるが、かつてはラテン語 やドイツ語 、あるいは古教会スラブ語 でも書かれていた。13世紀後半、プラハの王宮はドイツ語によるミンネザング や王朝文学の中心地のひとつであった。フランツ・カフカ はチェコ語も流ちょうであったが、作品は母の母語であるドイツ語で著わした64 65 。カフカの代表作には「審判 」や「城 」などがある。
チェコ文学の発展は、聖書の翻訳がひとつの契機となった。チェコ語による最古の詩篇 の訳本は13世紀末のもので、その後、1360年ごろに聖書の翻訳がはじめて完了した。チェコ語訳聖書 がはじめて出版されたのは、1488年のことであった。12世紀のギガス写本 は、現存する世界最大の中世写本である66 。
音楽 今日のチェコにおける音楽の伝統は、10世紀末から11世紀はじめには存在が確認されている教会の聖歌に淵源する。特に「主よ、われらに慈悲を」と「聖ヴェンツェスラウスのコラーレ」の2曲は讃歌の役割を果たし、その後のチェコ音楽にとり入れられた68 。「主よ、われらに慈悲を」の作者については、プラハ司教であったプラハのアダルベルト とする説がある69 。
チェコを代表するクラシック音楽祭であるプラハの春音楽祭 では、世界各国のアーティストや交響楽団、室内楽団がそれぞれの演奏を披露する。
美術
映画
演劇 チェコの劇場は、中世以来のヨーロッパ内における劇場の歴史の中で重要な役割を担って来た面を持ち合わせている。
建築
衣装
世界遺産
祝祭日
スポーツ チェコは人口わずか1000万人の国でありながらシュコダ・オート 、プラガ 、タトラ 、CZ といった著名な自動車・オートバイメーカーが多数あり、特にオフロード系の競技で輝かしい実績を残している。
シュコダはWRC (世界ラリー選手権 )の下位クラスに古くから参戦しており、2010年代以降は低コスト四輪駆動 ターボ 車であるラリー2(旧称R5) 規定のクラスで無類の強さを誇っている。またシュコダの躍進に合わせてチェコ人ドライバーも活躍し、2018年にヤン・コペッキー/パベル・ドレスラー組がWRC2チャンピオンとなっている。
ダカール・ラリー のトラック部門では90年代半ばから2000年代初頭にかけてタトラが一時代を築き、チェコ人ドライバーのカレル・ロプライス が通算6度優勝し「ムッシュ・ダカール」の異名を得た。2023年現在、甥のアレス・ロプライスはプラガのトラックでダカールに参戦中である。またヨセフ・マハチェクはATV とUTV という異なる2部門でダカールを制した。UTVを制したのは63歳の時で、史上最年長部門勝利記録となった。
なおプラガはトラック以外にもレーシングカート やレーシングカーの製造でも知られ、カートは年間7千台の規模を誇る70 。
CZのバイクは1960〜70年代のモトクロス世界選手権 で7つのタイトルを、国際6日間エンデューロ(ISDE)で15回の優勝を獲得した。
著名な出身者
参考文献
脚注