蕭琮
蕭 琮は、南朝後梁の第3代皇帝。廟号はなく、後主(こうしゅ)と呼ばれる。博学かつ弓馬の才にも長けており、馬に乗って弓を射ると十発十中、また的を持つ者も逸れることはないと安心して的を構えていたという。
生誕~死没 558年 ~ 607年最終更新 2026/10/16 14:46
蕭 琮(しょう そう)は、南朝後梁の第3代皇帝。廟号はなく、後主(こうしゅ)と呼ばれる。博学かつ弓馬の才にも長けており、馬に乗って弓を射ると十発十中、また的を持つ者も逸れることはないと安心して的を構えていたという。
生涯
天保24年(585年)、父の明帝の崩御により即位する。後梁は北朝の事実上の傀儡国家であったが、その上に立つ王朝も変遷を経て、後主の代には隋となっていた。隋の文帝は、明帝の代に一度はなくなっていた江陵総管を復活し、再び監視体制を敷いた。そして、皇帝の叔父を長安に呼び寄せてそのまま返さなかったのに続き、今度は後主自身を長安に呼び出した。主亡き後梁に文帝は代わって崔弘度を派遣するが、それを後梁への侵略と感じた叔父の蕭巌や弟の蕭瓛ら皇族の一部は南朝陳に走った。陳遠征を前に後梁を邪魔に思っていた文帝は、これを理由としてついに後梁を併合した。
しかしその後も蕭琮は殺されたりすることはなく、莒国公に封じられて陳を滅ぼした隋の下で重用され、義弟の煬帝の代には梁公となり、一族も多く任官された。しかし後に煬帝に猜疑心を起こされ、家格を廃されて間もなく死去した。
後に従甥の蕭銑が梁の皇帝を称した際に孝靖皇帝(靖帝)と諡されている。
【蘭陵蕭氏系図】(編集)
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