李炯錫
李 炯錫は大日本帝国陸軍、大韓民国陸軍の軍人。創氏改名時の日本名は若松 勇作。
生誕~死没 1909年 ~ 1991年最終更新 2026/10/16 14:54
李 炯錫(イ・ヒョンソク、이형석、1909年 - 1991年)は大日本帝国陸軍、大韓民国陸軍の軍人。創氏改名時の日本名は若松 勇作(わかまつ ゆうさく)。
経歴
1909年、平安北道宣川郡に生まれる。新義州高等普通学校卒業。四年生の時に米国陸軍士官学校の映画を見たことで陸軍士官学校を志望するようになる1。平壌の歩兵第77聯隊で受験し、合格した1。一般公募による最初の陸士合格者であった2。
1928年、陸軍士官学校に入学。1933年、歩兵科卒業(第45期)、同年10月20日、任歩兵少尉、歩兵第41聯隊附3。1935年10月10日、任歩兵中尉4。同年、独立歩兵第8大隊附。1938年、国境守備隊第7中隊長、任歩兵大尉。1942年、混成第8旅団参謀、任少佐。終戦時は南方軍附。シンガポールに行き、そこで日本船員が運行していたLSTに乗って台湾を経由して仁川に入港した。台湾では新聞で中将が処刑されたことを知ったという。
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