崔麟
崔 麟は、日本統治時代の朝鮮における天道教の幹部。独立運動家から親日派へ転向した人物として知られている。本貫は海州。号は古友(コウ、고우)、天道教道号は如庵(ヨアム、여암)。創氏改名時の日本名は佳山麟(かやま・りん)。
生誕~死没 1878年 ~ 1958年最終更新 2026/10/16 14:45
基本情報
- 生誕 ~ 死没
- 1878年 ~ 1958年
- ハングル:
- 최린
- 漢字:
- 崔麟
- 発音:
- チェ・リン
- 日本語読み:
- さい・りん
- ローマ字:
- Choe Rin
崔 麟(チェ・リン、1878年1月25日 - 1958年12月)は、日本統治時代の朝鮮における天道教の幹部。独立運動家から親日派へ転向した人物として知られている。本貫は海州。号は古友(コウ、고우)、天道教道号は如庵(ヨアム、여암)。創氏改名時の日本名は佳山麟(かやま・りん)1。
人物
咸鏡南道咸興に生まれる。幼少期に漢学を学んでいる途中、漢城へ渡り、開化派の青年達と交流を持つようになる。1902年に、日本の陸軍士官学校を卒業した朝鮮人青年将校達が中心なって起こした一心会組織事件へ関与したことにより、日本へ亡命した。
第一次日韓協約の締結された1904年には、皇室特派留学生に選抜され、東京府立第一中学校に入学した。翌1905年に同中学の勝浦鞆雄校長が、「朝鮮人に教育は不必要だ」と発言したこと2に抗議して、同盟休校(ストライキないしボイコット)を起こし、このことが原因で退学処分を受けた。第二次日韓協約の締結された同1905年には、日本留学生会を組織し、副会長を経て会長に選任された。1906年には明治大学に入学し、在学中は朝鮮王朝を冒涜する内容の講演があった講演場を襲撃し、営業妨害の容疑で検挙されたこともあった。1910年に帰国した後は、同じく皇室留学生だった崔南善や孫秉煕らと交流を持つようになり、以降は天道教の信者となった。
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