六朝
六朝(りくちょう)とは三国時代の呉・東晋および南朝の宋・斉・梁・陳つまり六国王朝。建康(建業)つまり現・中華人民共和国江蘇省南京市を都としていた。 呉滅亡(280年)から東晋成立(317年)までを含む「222年 - 589年」を六朝時代(りくちょうじだい)と呼び、六朝時代の文化を六朝文化(りくちょうぶんか)と呼ぶ場合もある。
施行~廃止 220年 ~ 589年最終更新 2026/10/16 14:54
基本情報
- 施行 ~ 廃止
- 220年 ~ 589年
六朝(りくちょう)とは三国時代の呉・東晋および南朝の宋・斉・梁・陳つまり六国王朝。建康(建業)つまり現・中華人民共和国江蘇省南京市を都としていた。
呉滅亡(280年)から東晋成立(317年)までを含む「222年 - 589年」を六朝時代(りくちょうじだい)と呼び、六朝時代の文化を六朝文化(りくちょうぶんか)と呼ぶ場合もある。
宗教
六朝時代は、中国における宗教の時代であり、六朝文化はこの時代に興隆した宗教を基に花開いた。一方では、後漢代に盛行した神秘的傾向の濃厚な讖緯の説・陰陽五行説の流れの延長上に位置づけられる。また、後漢末より三国から魏晋南北朝期に至る動乱と社会の激変に伴う精神文化の動揺が、従来の儒教的な聖人を超越した原理を求める力となったものと考えられる。
儒教・老荘
儒教では、魏の王弼が、五行説や讖緯説を排した立場で、経書に対する注を撰した。それと同時に、老荘思想の影響を受けた解釈を『易経』に施したことで、その後の晋および南朝に受け入れられることとなった。その一方で、北朝では、後漢代の鄭玄の解釈が踏襲され、経学の南北差を生じさせるに至った。
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